KIJU YOSHIDA

【吉田喜重レトロスペクティブ(2004)パンフレット】
 

「吉田喜重、真のサスペンス」       舩橋 淳
 

線でもなく、円でもなく、螺旋。
黒でもなく、白でもなく、無色透明。

光でもなく、陰でもなく、反射鏡。

 

  一つの意味に還元されることを拒み、その基盤となる存在自体をぐらぐらっと崩壊させてしまう、それが吉田喜重の映画だと私は思う。自由恋愛を生きる大杉栄が愛人の一人・伊藤野枝により刺殺されるという空想の結末の「エロス+虐殺」、自分の意志を受けた青年将校たちの暴走により、戸惑い逡巡し続ける影の指導者・北一輝(「戒厳令」)、ボケて死にゆく老女、その夫と息子、この3人誰もが老女を死に追いやった犯人となり得るという事実が示されたまま終わる「人間の約束」など、一つの結末に収束せず、虚構としての物語を拡散・止揚させんとする意志が吉田作品には漲っている。それは吉田自身、「見ることのアナーキズム」と呼び、予測不可能な観客の視線の先に自分の映像を展開するために選択した一つの覚悟であったと思うのだが、その河岸にはいつもゴダールがいたように私には思える。

  ゴダールは断定の人だ。断定とは、浮遊する概念の諸々を一つの物語上にとりあえず並べてみせること、相互矛盾をまるごと飲み込んでしまうことである。断定を強く押し通す強度それこそが映画なのだとゴダールは断言する。対して吉田は、同時共存する矛盾をとことん宙吊りにして見せましょう、とつぶやく。勿論ここでいう宙吊り=サスペンスは、刑事ものなどで使われる意味のサスペンスではなく、安易な結論づけを禁じて対立する概念をそのままフィルム上に刻み込もうというアクションを指す。ゴダールも吉田も、映画という得体の知れないものに対して、一つの身振りを押し通すことで、映画そのものの解体を目指したのだろうか。私には分からない。

  映画が一つの意味に還元されてしまうことを拒むため、矛盾をそのまま衝突させ全速力で破綻に向かうか、あくまで有機的な調和を取り澄ましつつ、破綻の瞬間を延々と宙吊りにしてしまうか。ゴダールと吉田の異なる2つの身振りは、映画の恐ろしい素顔の周りを旋回しているかのようだ。多くの映画作家はその恐怖を体験する前に、物語という防空壕に避難してしまう。その固く守られている(かにみえる)安全地帯に駆け込むことを固辞し、何にも依存することのできない映画という荒野に身を曝し続けること。それが吉田喜重映画のサスペンス体験であり、「〜というハナシだったのか!」と納得顔で映画館を後にすることは決して許されないのである。

  では、その荒野に裸でぶつかってゆこうではないか。準備はできている。あらかじめ読んだあらすじはきれいさっぱりと忘れよう。誰が誰の母であり、誰が子供であるのか、愛人であるのか、過去なのか、未来なのか、空想なのか、現実なのか、そもそも現実は一つなのか、二つなのか、幾重にも提示されて混乱するかもしれない。その混乱、幻惑の奥にうっすらと見えてくるもの、それがすごいのだ。話を一つの枠組みに落ち着け理解しようとする脳をリセットし、浮かんでは消えてゆく儚い思考をそのまま享受してゆく運動に身を任せようではないか。そして、徒然なる概念の対立・矛盾が、最後に一挙に無意識から意識上へと押し寄せてくる瞬間を待ち受けよう。「エロス+虐殺」のパタパタと倒れる襖の迷宮で遂行される大杉栄の殺人、「秋津温泉」の渓流沿いで勃発する岡田茉莉子の疾走、「煉獄エロイカ」で科学者の妻により融合される過去・現在・未来の3つの時間、「人間の約束」で老夫婦が頬を合わせて口ずさむ無情の歌、「鏡の女たち」で血縁関係がはっきりせぬ母・娘・孫が見つめる元安川に浮かぶ灯籠、そして告白される「母の母の母」の来歴・・・意識が漂白されるような僥倖である。その宇宙はとてつもなく深奥で、実際、私は自分の魂(こういうと恥ずかしいのだが)が深く掘り下げられた気分をいつも味わう。

  混乱、幻惑の向こうにどんよりと横たわっている無意識の暗い塊。シェーンベルクか、ピナ・バウシュか、それとも泉鏡花か。私の想像の域をはるか超えているが、数多くのテレビドキュメンタリー、オペラ「蝶々夫人  Madama Butterfly」の演出をも手がけた吉田喜重は当然、映画を外からも見つめ続けてきたはずだ。1960年の処女作「ろくでなし」以降、同時代の制度を否定する形でフィルムと向かい合ってきた吉田喜重。断定の人・ゴダールの対極で映画を発見した唯一人の作家なのかもしれない。断定を回避し、矛盾を共存させるアウフヘーベンが、彼の映画の地平で繰り広げられる。

 

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